ヒューマンファクター研究を振り返えってみると

鉄道総研の人間科学研究部は、日本国有鉄道労働科学研究所(鉄道労研)の業務を継承し、両者の期間を合わせると50年が経過しました。鉄道労研は常磐線三河島事故(1963)を契機とし、ヒューマンエラーによる事故の防止を最大の目的として発足した労働科学の専門研究機関でした。人間科学研究部はその研究を引き継ぎ、ヒューマンエラー事故分析手法の開発、適性検査の研究や労働負担の評価の研究を精力的に進めるとともに、予防的・実践的な安全管理を目指したリスク評価法の開発、職場風土の評価、踏切事故について多面的な検討、運転環境の人間工学的検討など様々な労働科学の研究に携わってきました。
 また、鉄道利用者を対象とした研究にも努めてきており、列車や駅空間の快適性・利便性向上のニーズに応じ、乗り心地やバリアフリー等の研究も行ってきました。さらに、万が一、事故が発生した場合の乗客の被害軽減対策、鉄道の電磁界の生物影響といった新たな視点の研究にも取り組み、社会の流れに対応しながら幅広い展開を図ってきました。
 鉄道従業員として、旅客として、さまざまな人が車両や駅などの鉄道システムのあらゆる領域と密接に関わっているため、関係する技術分野と協調した研究開発が求められ、研究の幅が広がっていくにともない、車両、保線、建築、情報等、他分野との連携もますます広がってきています。また、コンピュータ技術をはじめとした科学技術の進歩を活用して、人の行動、動き、心理傾向、生理等を予測、評価する等、研究方法にも幅が広がってきています。連携と技術動向を踏まえながら、人間中心デザインの視点で、これからも安全で、便利で、快適な鉄道を目指して、研究に取り組んでいく所存です。
 人間科学ニュースでは、ヒューマンファクターに関連した基礎知識から研究の最新情報まで、気軽に親しんで頂けるようにご紹介していますので、これからも本ニュースをご愛読頂きますようお願い申し上げます。

(人間科学研究部長 小美濃幸司)

仕事の工夫

 仕事のために、自分なりの工夫をしている方は多いと思います。しかし、仕事の工夫なんて面倒だ、と感じる方もあるようです。仕事の工夫の意義について、考えてみたいと思います。

仕事の工夫って何

 運転現場の仕事は、私たち研究の仕事と比べると、やるべきことがおおむね決まっていると思います。そのため、決まりを守っていればいい、言われたことだけやればいい、という意識になりやすく、仕事の工夫なんて不要だと思いやすいかもしれません。  しかし、決まった仕事を着実に行うということは、それほど簡単ではありません。たとえば、午後の会議に遅れずに出るというだけでも、私は、何度も失敗しています。  運転現場における仕事の工夫は、決まった仕事、求められた仕事を失敗なく行うため、効率よく行うためにするものではないでしょうか。工夫をすれば失敗しない、いつでも高い効率で作業ができる、というわけではありませんが、失敗の危険性を減らしたり、効率性を上げたりすることを目指して行うのが工夫の目的だと思います。

基本動作と工夫

 ここで基本動作と工夫を比べて、考えてみましょう。どちらも失敗の危険性を減らすことを目指していますが、基本動作は会社として指導されますが、工夫についてはそうではありません。
 基本動作は、そもそも先輩の誰かが仕事の工夫として行ってみたことから生まれたものです。その工夫が周囲の人に支持され、別の人にもやってもらおう、もっと広めよう、そうすれば失敗の危険が減らせそうだ、という風に今の形になったのだと思います。
 そう考えると仕事の工夫は、基本動作の種と言えます。たくさんの種をまくほど、さらによい基本動作が育ってくるでしょう。

個人差と工夫

 ところで、工夫には、ある人には役立つが、別の人にはあまり役立たないという個人差がありそうです。個人差が大きい工夫は、基本動作になりにくいものです。
 しかし、だから駄目、というわけではありません。自分にだけ合う工夫の方が、誰にでも合う工夫よりも、危険を減らす効果が高いかもしれません。
 自分に合う工夫かどうかを知るためには、自分で考え出したり、人の工夫を真似したり、参考にして改良したりして、試してみるしかありません。そして、合うかどうかは、自分が判断するしかありません。

工夫の押しつけは

 「もっと仕事の工夫をしなさい」などと上司から求められると反発を感じます。それは仕事ではない、自分は工夫なんてしなくても仕事はしっかりできる、と思ったりします。
 上司は、仕事の工夫について、サポートする立場に立つことが大切でしょう。もし工夫について部下に話してみたくなった際には、そこのところを注意していただければと思います。

仕事の外で行う工夫

 ここまで、「仕事の中」で行う工夫について考えてきましたが、最後に少し視野を広げてみましょう。
 仕事における作業を支えているのは、本人の気分とか体調とかです。これらが低調だと、仕事の中でどんな工夫をしても、がんばろうと努力しても、工夫の効果が出にくくなってしまいます。
 そのため、仕事の工夫には、毎日楽しく仕事をする工夫、体調を保つ工夫もあります。それらは、職場を離れたとき、「仕事の外」で行う工夫です。
 そして、そういう工夫は、あらゆる職種で共通しています。そのため、参考にできる工夫がたくさんあるのです。たとえば、本屋に行って、ビジネスや健康のコーナーを見てみましょう。自分でもやってみたいと思うような工夫がそこに見つかるはずです。

(安全心理 井上貴文)

安全への関与を高める

 安全マネジメントの確立にはPDCAサイクルを回すことが求められ、事故やトラブルの原因となる作業の仕組みや職場の問題点を如何に的確に洗い出すかが鍵です。私ども鉄道総研では従来、職場の安全管理要因に対する作業者の認識、すなわち安全風土を把握するための調査を実施してきました。
 調査では、既存研究をもとに対象組織との議論をふまえて評価項目を作成します。また、回答方法は「全くそう思わない」~「非常にそう思う」といった程度を示す選択肢に、「自分にはわからない」という不明回答を追加しています(図1)。そして、支社や職場単位で回答を集計し、各項目に対する平均値を評価得点とするのですが、この時、不明回答を取り除いて算出します。
 しかし、この不明回答の選択率が高い場合をよく見かけるようになりました。そこで、ここでは、安全風土の調査において回答者が「自分にはわからない」という選択肢を選ぶ心理を考えてみます。
  • 図1 使用する回答選択肢
    図1 使用する回答選択肢

項目内容が職場や担当業務、職制等に合わない

 そもそも、不明回答を設けた理由は、項目内容が、回答者が属する職場や担当業務、職制等に該当しない場合を想定したためです。
 調査項目は職場の安全管理に関する内容ですし、表現等でわかりにくいことがないよう、必ず事前に安全関連部の方に表現や内容を点検していただいてから調査を実施しています。しかし、具体的な項目になればなるほど、どうしても一部には合わない内容のものも含まれてしまいます。そこで、やむを得ず、「自分にはわからない」という回答を選ぶことを許容しているわけです。
 しかし、項目内容が明らかに該当しないのであれば、職場や担当業務、職制ごとの不明回答の選択率が100%に近くなるはずですが、実際にはそうではない場合もあり、別の理由も考えられます。

個人的に関心がない場合

 本来、各項目が自職場に該当しないのであれば「全くそう思わない」「あまりそう思わない」という選択肢を選べば良いはずです。それをあえて、「自分にはわからない」を選んでいるのは、「自分には関係ない」「関心がない」と意思表示している場合です。
 このような場合は、特に、事故やトラブルが発生した場合の対処方法についての項目で該当することが多いようです。同じ会社の中でトラブルが発生してその対応に追われていても、他の職場や他の系統では温度差があるといった状態です。しかし、安全マネジメントの要はリスク情報の管理です。いくら経営層や安全部門が率先して計画を策定しても、具体的な取り組みについて肝心の社員に伝わっていなければ十分な効果が期待できません。実際の事故調査では即応的な協力が必要であり、発生してから理解を求めるのでは対応が遅れ、不十分になる可能性があるばかりか、やらされ感が増し、安全に向けた活動をしているはずなのに、かえって、安全風土を損ねることが懸念されます。
 そもそも、安全への関心が低いというのも、安全風土の実態を示す結果の一つです。「自分にはわからない」を選択するということは、評価得点の高い低いとは全く別の次元で、安全風土の実態を示しています。

安全への関与を高める仕掛け

 一般に、人は自分が関与したものについて関心を持ち、その内容を受け入れ易くなると言われます。ですから、安全管理の計画を策定する際には、トップダウンで一方的に提示するだけではなく、職場からの意見を聴取したり議論したりしてから策定すると、結果として、策定事項を指示する際に受け入れ易くなるのです。
 安全風土の調査において「自分にはわからない」という回答は、安全に向けた活動への関心の低さを示しているかもしれませんが、あえて「自分にはわからない」と回答したのも関与の仕方の一つです。調査を組織全体に行い、あえて「自分にはわからない」と回答させることによって、今後の改善に向けた関与を促す土台作りになるのです。
 ですから、本当に重要なのは調査後です。評価得点の高い低いが分かったら終わりではありません。結果を職場に伝え、今後に向けた議論を促してください。それが、安全への関心を高める仕掛けです。

(安全性解析 宮地由芽子)

身体から気持ちをかえる

はじめに

 楽しいことがあったり、悲しいことがあったりしたときに、人は笑ったり、泣いたりします。大人になると気持ちが素直に身体反応として表れることは少なくなりますが、子どもを見ていると気持ちと身体のつながりは非常に密接なことが分かります。私には2歳の姪と5歳の甥がいます。この子たちを眺めていると楽しいときは全身を使って笑い声をあげながらはしゃぎまわったり、叱られて悲しいときは泣きながら背を向けて丸まっていたりします。楽しい気持ちが笑うことに、悲しい気持ちが泣くことに直結しているのでしょう。身の回りにお子さんがいる方は、このような姿を日常的に見かけているのではないでしょうか。

気持ちと身体のつながり

 心理学の分野には気持ちと身体のつながりを説明する2つの有名な説があります。
 1つはキャノン・バード説です。この説では、人は「楽しいから笑う」、「悲しいから泣く」と考えます。頭の中で「楽しい・悲しい」といった気持ちが先に生じた結果、身体反応として「笑う・泣く」が生じると考えるのです。このような「気持ち」から「身体反応」への流れは、多くの人にとって違和感なく受け入れられる考え方でしょう。
 もう1つはジェームズ・ランゲ説です。この説は気持ちと身体のつながりについて、キャノン・バード説と逆の流れを提案しています。つまり、人は「笑うから楽しい」、「泣くから悲しい」と考えます。身体反応として「笑う・泣く」が先に生じた結果、頭の中で「楽しい・悲しい」といった気持ちが生じると考えるのです。この「身体反応」から「気持ち」への流れは、皆さんの直感に合っていないかもしれません。
 しかしながら、身体反応が気持ちを生じさせることは、いくつかの研究で報告されています。それらの研究の中から、笑顔が楽しい気持ちを生じさせることを調べた研究を紹介します。
 研究の参加者は図1のようにペンを口にくわえて漫画を読みます。図1の左のように「歯」でペンをくわえた場合には、口の端を引いた状態になって、参加者がまったく気づかないうちに笑顔のような顔になります。それに対して、図1の右のように「唇」でペンをくわえた場合には、笑顔にはなりません。実験の結果、図1の右の笑顔ではない表情のときよりも、図1の左の笑顔のような表情をしているときは、参加者は読んでいる漫画をおもしろいと感じていることが明らかになりました。この結果の興味深い点は、参加者自身は笑顔になっていることを自覚していないことです。笑う自覚がなくても、表情が笑う状態と同じになっていれば、参加者にはおもしろい(楽しい)気持ちが生じていました。つまり、「身体反応」から「気持ち」への流れもあることが示されたわけです。ただし、表情が気持ちに与える影響の大きさについてはわかっていないことも多く、非常に強いわけではないけれども、ある程度は影響するといった曖昧な結論になっています。
  • 図1 ペンをくわえることによる表情の変化
    図1 ペンをくわえることによる表情の変化

身体から気持ちを変えてみる

 嫌なことがあったときに、人は暗い顔になりがちです。身体反応が気持ちに与える影響を考えてみると、暗い顔をしたままでは、嫌な気持ちがどんどん強まってしまいます。そんなときには無理をしてもよいので、笑顔を作ってみましょう。嫌な気持ちが和らぐ可能性があります。どうしても笑顔が作れない場合には「歯」でペンをくわえたり、両手の人差し指で口角を押し上げたりするとよいと思います。
 また、嫌なことがあったときには背が丸まってしまうこともあるでしょう。そんなときには背筋をまっすぐに伸ばすなど姿勢を整えるだけでも意外と簡単に気持ちを切り替えることができると思います。嫌な気持ちにとらわれていると普段では思ってもいないミスをしてしまうこともあるでしょう。身体から気持ちに働きかけることで、気持ちを切り替えるきっかけの一つになるはずです。

(人間工学 菊地史倫)

トイレ菌を特定する

はじめに

 2011年7月号(174号)「においと微生物の関係」において、駅トイレ床面に生息している細菌が、悪臭の原因であるアンモニアを発生させることを、ご紹介しました。今回はにおい対策に向けた、駅トイレ床から採取したアンモニア産生能力を持つ細菌(以下、トイレ菌)の種類の特定について述べたいと思います。

トイレ菌を特定することで何が分かる?

 トイレ菌の種類を特定すると、どのような利点があるのでしょうか。
 トイレ菌の種類が分かると、その細菌に関してこれまでに報告されてきた知識を利用することができます。具体的には、どのような環境から検出されている細菌なのか、どのような環境が苦手な細菌なのか、臭気を多く放出する細菌なのか、その細菌の生育に最適な温度は何度か、その細菌の最適pH値はいくつか、その細菌は元々どこに生息していたのか等、多くの情報を集めることができます。その細菌の増殖を抑える条件を調べた試験報告も入手できるかもしれません。
 実験室内において、トイレ菌を様々な条件で培養し、どのような条件下で、アンモニア発生量が低くなるのかを調べる試験も、より効果的に進められます。その結果、駅トイレ内のアンモニア臭低減方法の提案が可能になると考えます。さらに、そのアンモニア発生対策案に対する効果の評価試験も、同じトイレ菌で実施することができます。
 また、トイレ菌固有の遺伝子を利用すると、そのトイレ菌のみを、雑多な細菌の中から探しだすことができます。トイレ床表面には、様々な細菌が生息していると考えられますが、全ての細菌にアンモニア産生能力があるとは限りません。しかし、アンモニア産生能力のあるトイレ菌の遺伝子を利用すれば、そのトイレ菌のみを特異的に検出することが可能です。トイレ床表面におけるトイレ菌の分布を把握することができれば、例えば、トイレ菌が生息しやすい領域には抗菌機能を持つ建材を使う等、具体的な対策の提案に繋がるでしょう。

小さい細菌にもある“遺伝子”の利用

 それでは、どのような方法で、トイレ菌の種類を特定するのでしょうか。
 体の大きさには関係なく、全ての生き物は、固有の遺伝子を持っています。生き物の体は、この遺伝子が持つ情報を元に構成されます。遺伝子は、主に塩基と呼ばれる物質で構成されています。このため、トイレ菌が持つ固有の遺伝子中の塩基の並び方(塩基配列)を調べれば、トイレ菌の種を特定することができます。具体的には、トイレ菌の遺伝子の塩基配列に対し、データベース内に含まれる他の細菌の塩基配列との類似性を調べます。類似性が99%以上ある細菌があれば、トイレ菌はその種であると推定されます(図1)。
  • 図1 遺伝子から細菌種を特定するイメージ図
    図1 遺伝子から細菌種を特定するイメージ図

おわりに

 トイレ菌の遺伝子を、駅トイレ内の不快臭低減対策に役に立てる、生物工学研究室ならではのユニークな試みと考えております。

(生物工学 川﨑たまみ)