安全への感受性

 ここ数年、総務部の仕事をしていましたので、毎月、安全パトロールで研究所の所内を回りました。最初は、うまく整理・整頓がされていなかった箇所も次第にきれいになり、構内通路にものが仮置きされていることもなくなり、転落防止もきめ細かく行われるようになってきました。書棚やロッカーなどの転倒防止も、徹底して行われています。
 巡回して指導する、あるいは整理・整頓を徹底することには意味があると思っていますが、それでも所内での小さな傷害、物損事故はときどき起きています。ほとんどが単なる不注意であったり、経験不足で起きていることが多いのですが、ほんの少し、想像力を働かせれば防ぐことができるように思えます。一種の危険予知トレーニングなのかもしれませんが、作業をする前にどんな危険があり得るかを考えることは重要です。特に新しい実験であったり、経験のない作業の場合には、ちょっと立ち止まって考えてみることは、全体の効率を上げることにもなります。
 作業だけでなく、日常の行動でも怪我をする、物を壊すという可能性はあります。スマートフォンをいじっていて電車に接触した乗客の例が典型的ですが、庭木の剪定で転落したり、スリッパを履いていて家の階段ですべったりするなど、大けがにつながることはどこにもあると言えます。町の中や、駅の構内で音楽を聴いて歩いている人は大勢いますが、実は聴覚を奪われた状態での歩行は非常に危険です。日常でも常に気を配って、不安全にならないように一つ一つの行動を慎重に行うべきでしょう。
 毎日の暮らしの中で、安全への感受性を磨いていくことが、仕事での安全につながるのではないでしょうか。

(理事 奥村 文直)

マニュアルのデザインについて

マニュアルと安全

 皆さまの職場には多数のマニュアルがあると思います。また、マニュアル作成に携わったことのある方もいらっしゃるかと思います。言うまでもなく、鉄道の安全には、このようなマニュアルが不可欠です。マニュアルに記載された適切な作業手順やルールに従って作業をすることで、事故やけがを未然に防ぐことができます。
 しかし、マニュアルは大切だと分かっていても、それを読むことを面倒だと思った経験はありませんか?フォントが小さかったり、レイアウトがうまくなされていかったりすると、読む気をなくしてしまいますよね?そこで今回は、マニュアルのデザインの重要性について考えてみようと思います。

マニュアルで重要なのは内容とデザイン

 マニュアルは読んでもらえなければ意味がありません。問題は、マニュアルというものが積極的に読みたいというものではないことです。例えば、小説・漫画・ネットの記事などは自分が読みたいものを選択して読みます。ですが、仕事でのマニュアルというのは、業務遂行上必要だから読むものです。そのため、マニュアルに対する「読もう、読みたい」というモチベーションは小説などのそれと比較すると低くならざるを得ません。
 作成者はこの点について留意し、できるだけわかりやすく読みやすいよう工夫をしながらマニュアルを作成することになります。工夫は大きく分けて2つあります。1 つは、内容・表現の工夫です。読者にとって理解しやすい言葉で、見やすい図を入れながら構造的・論理的に話を展開することがこれに当たります。もう一つは、デザイン・レイアウトの工夫です。読者にとって見やすい文字の大きさ、メリハリのあるデザインなどがこれに当たります。

軽視されがちなマニュアルデザイン

 総じて、マニュアル作成者は内容・表現の工夫に傾倒しがちではないでしょうか。マニュアル作成の目的が情報伝達ですからその内容を重視するのは当然です。しかし、その反動か、デザイン・レイアウトは二の次になってしまってはいないでしょうか。例えば、タイトルや表題が本文と同じ文字サイズ・フォントでわかりにくい、番号や記号の使い方が統一されていない、ページ番号がないなどです。作成者にとっては上記の問題は、内容に比べれば些細なことかもしれません。ですが、読者にとってみれば、「些細なことですらできていないマニュアル」という印象を抱いてしまい、読む前から読む気を失くさせてしまいかねません。

「読む気」にさせるデザインとその重要性

 この「読む気」は、理解・記憶などの認知処理に影響を与えることが指摘されています(海保、1992)。例えば、マニュアルの文字が小さく、ぎっしりとページ全体に詰め込まれていたらどう思いますか?おそらく、内容を理解する以前に、この圧迫感と闘わなければならないでしょう。また、読んでいる最中も、その判読に苦労するでしょう。そのような状況では、内容の理解がままならず記憶にも残らないことが推測できると思います。
 これまで、マニュアルのデザインの重要性を述べてきましたが、難しいことを要求しているわけではありません。読み易く文字のサイズを考慮し、行間を適切にとる、一つの段落に情報を詰め込みすぎないなど、どれも当たり前で簡単にできることです。ですが、簡単にできることゆえに、その重要性が軽視されている事実も散見されます。マニュアルを作成する時に重要なのはその内容ですが、その内容も読者に読んでもらえなければ伝わりません。読者の読む気を促すため、デザインについて今一度考えてみてはいかがでしょうか。

【参考】

海保博之:一目でわかる表現の心理技法 共立出版株式会社、1992

(安全心理 佐藤 文紀)

万が一を考える-荷棚の構造―

はじめに

 万が一の事故により、列車に衝撃(以下、1次衝撃)が発生した場合にも乗客の被害を軽減させる研究に取り組んでいます。列車に発生した衝撃により乗客は車内で投げ出され、他の乗客や車内設備に衝突し(以下、2次衝突)傷害が発生する場合があります。このような被害を軽減させるための対策を車内設備の観点から検討しています。

列車衝撃時の車内状況

 被害軽減対策の検討のためには、列車衝撃時の乗客の動きを把握する必要があります。コンピュータを用いたシミュレーションにより1次衝撃時の車内状況の推察と車内設備対策の検討を実施しています。
 近年、ユニバーサルデザインの観点で荷棚の高さを低くした車両が増えています。このような車両における列車衝撃時の乗客の動きをシミュレーションしてみました。その結果、図1(a)に示すように、袖仕切り脇に立っている乗客が1次衝撃によって座席側に倒れこみ、後頭部を荷棚端部に2次衝突する可能性があることがわかりました。このような事象における乗客被害の軽減を目指した荷棚構造を考案しました。図1(b)に効果の例を示します。

  • 図1 列車衝撃時の乗客挙動シミュレーション(乗客モデルの身長は175cm)
    図1 列車衝撃時の乗客挙動シミュレーション
    (乗客モデルの身長は175cm)

被害軽減のための荷棚構造

 被害軽減の観点で考えれば、頭部が荷棚に当たらないように荷棚を高くすればよいのですが、使いやすさは低下します。また、荷棚端部を短くして頭部を荷棚に当てなくする方法もありますが、あまり短くすると、袖仕切り脇に座っている乗客に荷棚上の荷物が落下して被害を受ける可能性が出てきます。そこで、荷棚の端部のみを高くする構造を考えました。本発明は図2(a)に示す従来タイプの荷棚に対して、図2(b)に示すように端部に段差をつける、あるいは、図2(c)に示すように端部を上方に向けて傾斜させることを特徴としています。この特徴により荷棚端部への2次衝突の回避が期待できます。
 本発明の本来の目的は、袖仕切り脇に立っている乗客の頭部と荷棚との間で生じる2次衝突の被害軽減です。それ以外にも荷棚の中央部に置かれた荷物が横滑りした際に、端部の段差や傾斜によって横滑りが停止したり、減速したりする効果が期待できます。この効果は、荷物落下による乗客被害の防止や軽減につながります。

  • 図2 乗客被害軽減用荷棚の特徴(特許第5191979号として登録)
    図2 乗客被害軽減用荷棚の特徴
    (特許第5191979号として登録)

おわりに

 今回は荷棚の構造に関する対策をご紹介しましたが、袖仕切りの形状や手すり、その他様々な車内状況において被害軽減対策を検討しています。
 なお、本発明は、国土交通省の補助金を受けて実施した研究テーマで得られた知見を基にしています。

(人間工学 中井 一馬)

野生動物との衝撃事故の現状と取り組みについて

はじめに

 日本は自然が豊かで、先進国で唯一野生のサルが生息し、クマやシカなど数多くの中・大型野生動物が、約38万km2という狭い国土に生息しています。それ故に野生動物が関係する事故件数は多く、また年々増加しています。日本道路公団の資料によると、平成14年の高速道路における轢死動物処理件数は35,933件で、そのうちタヌキやネコなどの小型ほ乳類が20,530件でした。平成25年のNEXCO東日本、中日本、西日本のCSR報告書によると、平成24年度に処理された小型ほ乳類数は3社合計でおよそ19,000件でした。北海道庁はエゾシカが関係する交通事故と列車支障のデータを公表しています。それによると、交通事故は平成14年度655件だったものが23年度には2,306件にまで増加し、24年度には1,809件に減少しました。国土交通省の災害対策等緊急事業推進費(平成23年度)を活用したエゾシカ侵入防止柵の設置やドライバーへの啓蒙活動が行われ、その結果として事故件数が減少したと考えられます。

鉄道における衝撃事故

 鉄道においても野生動物との事故は全国的な問題となっています。鉄道における特徴としては、シカとイノシシといった大型動物との衝突事故が大半を占めることです。新聞報道等によると、平成22年度には3,000件以上のシカとの衝突事故が生じました。
 北海道庁公表のデータによると、エゾシカによる列車支障件数は、平成14年度は655件でしたが、平成24年度には2,858件と大きく増加しました(図1)。エゾシカは成獣では体重が100kgを超えるほどに成長します。そのため、列車が衝突した場合、衝撃による車両故障や輸送障害等の損害が生じることがあります。
 動物との衝突による問題は海外でも生じています。平成23年に韓国ではKTXとシカ類が衝突し、乗客がほかの列車に乗り換える事故が報告されています。また、ドイツでは2008年にICEが羊の群れと衝突し、12両編成のうち10両が脱線し、乗客19人が負傷する大事故が起きています。幸いにも日本では大きな事故につながってはいないものの、早急な対策が必要な問題であると考えられます。

  • 図1 北海道内のエゾシカが関係する支障発生状況(北海道庁HP資料よりグラフを作成)
    図1 北海道内のエゾシカが関係する支障発生状況
    (北海道庁HP資料よりグラフを作成)

衝撃事故への対策

 事故件数増加の主要原因はエゾシカ生息頭数の増加と生息地域の拡大によって、道路や線路などの交通機関に近づく機会が増加したためだと考えられます。シカの生息地域は、東北地方の日本海側と青森県を除く全国に広がり、北海道では全道に生息しています。生息頭数の多い自治体ではシカ保護管理計画を策定し個体数管理に取り組んでおり、成果が期待されます。
 増加する衝突事故に対応するために、JR各社は平成21年度から担当者が集まり情報交換を進めています。例えば、シカの侵入を防止する柵の設置が考えられていますが、踏切など物理的に設置が出来ない箇所や経費的な問題があり、すべての衝突事故を防ぐことは難しいと考えられます。そこで、シカ目撃情報の共有や徐行運転のほか、シカ用排障器の制作などのソフト・ハードの両面から各社が行っている対策について情報交換をしています。
 鉄道総研においては、鉄道やその他の分野で試みられているシカ対策の調査を行っています。様々な分野で蓄積された情報から、これまでに鉄道の分野では試みられていない対策のヒントを見つけて、より効果的な防止策の構築に貢献してゆこうと考えています。

(生物工学 志村 稔)

生まれながらにして恐怖を感じるにおいがあるらしい

はじめに

 前ページに志村が書いているように、生物工学グループでは、シカ事故の防止に関する研究に着手したところですが、鉄道事業者ではすでに様々な対策を試行してきています。そうしたシカ対策技術の中に、線路周辺にライオンの糞を撒くというものがあり、複数の鉄道事業者が試してみたようです。新聞などでも紹介されていましたので、ご存じの方もいるかもしれません。しかし、この方法に対しては、日本で生まれ育ったシカにライオンのにおいが解るのか?、なぜそのにおいを恐れるのか?という疑問を感じると思います。ライオンの糞がシカ事故の防止に効果があるのかどうかということは別にして、この疑問に対するヒントとなる日本人による興味深い研究がありますので、紹介してみたいと思います。

においを感じる仕組み

 ライオンの糞の効果は、そこに含まれるにおいによるものと考えられます。においを感じる仕組みにはまだ解明されていない部分がたくさんありますが、においの原因となる物質が鼻の嗅細胞に捕らえられ、その情報が神経を通して脳の末梢にたくさんある糸球体に伝達される事がわかっています。糸球体からさらに情報が大脳に送られ、情報処理を経て、最終的ににおいとして知覚されると考えられています。

においが恐怖を引き起こす

 ある研究グループが、遺伝子組み替え技術を用いて糸球体をある領域ごとに欠損したマウスを作る方法を開発しました。このマウスは、においの認識能力が正常マウスよりも劣ると予想されましたが、実際には正常マウスと差がありませんでした。しかし、正常なマウスは近づこうとしなかった有害な悪臭物質にも平気で近づき、気がついたときには死んでしまっていたそうです。このことから、欠損した領域の糸球体が、においを避けるという行動に必要だったと考えることができます。次にこの研究者たちは、天敵のにおいを嗅かがせたときの脳の活動領域の観察を行いました。その結果、ある領域の糸球体を失ったマウスでは、脳の中の恐怖に関与する領域が活性化していないことや、血中のストレスホルモン濃度が上昇しないことなどを見いだしました。こうした結果から、この研究者たちは天敵のにおいに対して恐怖を感じるかどうかは、学習するものではなく、ある領域の糸球体が刺激を受けることに起因するものであり、生まれながらに備わった性質であると考えています。
 マウスの脳とシカの脳の構造が基本的部分では似ているとしたら、ライオンの糞に含まれているにおいが、恐怖に関連する糸球体を刺激することで、日本のシカが、見たこともないライオンのにおいに対して恐怖を感じるという事もあり得そうです。

マウスを使って恐怖物質を探す

 この研究の本来の目的は、脳の機能を解明することにあります。しかし、我々にとっては、このマウスを使うことで、先天的に恐怖を感じさせる物質の探索ができるのではないかということに興味をそそられます。実際に、この研究者たちもそうした応用を行い、すでにある物質を特許出願しています。マウスを使って選抜した物質がシカにも有効かどうかはわかりませんが、その効果が気になるところであり、今後の動向を注意していきたいと思います。

  • 図 生まれつき恐怖を感じるにおいがある?
    図 生まれつき恐怖を感じるにおいがある?

(生物工学 早川 敏雄)