安全の取り組みに対する利用者の関心

「安全報告書」での公表

 2006年の法改正により、事故の未然防止活動を推進するための「運輸安全マネジメント制度」が開始され、安全のための取り組みを掲載した「安全報告書」の一般公開が義務付けられています。これにより、利用者による監視を受けると同時に、事業者相互に取り組みの好事例を共有化することも可能となりました。

 一方、我々が2013年に行ったアンケート調査では、安全の取り組みについて鉄道利用者の8割以上は「知りたい」と回答し、全く関心がない人はとても少ないことが分かっています。しかし、鉄道事業者によるホームページや駅の掲示、配布された冊子類等で提示されているのを実際に見たことがあるかどうかを聞いたところ、7割以上の人が「実際には見たことがない」と回答しました。 

 事業者は、利用者が知りたい情報を提示していないのでしょうか?

事業者によって掲載内容はいろいろ

 我々は、多くの利用者が知りたいと思っている事について、鉄道事業者の「安全報告書」に実際に掲載されているかどうかを確認しました。東京都を通過する15社の掲載状況についてまとめた結果を図1に示します。

 例えば、運輸安全マネジメント制度で求められている「組織や体制」については、確認した全ての事業者で掲載されていました。また、駅・ホームや車両・線路・信号等の改良、社員教育といった具体的な安全対策についても8割以上の事業者で掲載されていました。また、利用者へ協力したい内容、事故の件数や推移といった情報も8割以上の事業者で掲載されていました。

 その一方で、「安全風土醸成ための取り組み」、「国からの勧告や指導への対策」「事故や不祥事の謝罪」については掲載している事業者が5割以下でした。

利用者に分かり易い提示を

 掲載率が低かった内容のうち、国からの勧告・指導や事故・不祥事については、対応すべき事実がなければ掲載のしようがないと言われるかもしれません。しかし、「該当することが発生していない」といった記載も情報の提示方法の一つです。また、安全風土の醸成についても、実は関連した様々な取り組みを鉄道事業者ではやっていることでしょう。しかし、それらが安全風土の醸成にもなるということを明確に記述されないと、利用者には伝わらないのではないかと思います。

 その他、利用者の関心が高い安全の取り組みは、鉄道事業者が公表している場合が多いにも関わらず、利用者には確認してもらえていないのが現状です。せっかく公表しているのですから、もっと見てもらうための提示方法に改善の余地がありそうです。そもそも、利用者は「安全報告書」を知らないのかもしれません。見ようと思っても、ホームページの奥深いところにあって発見されにくいのかもしれません。また、「安全報告書」は年度ごとにまとめられているので、利用者が見たい時にタイミングよく提示されていないかもしれません。

 安全・安心な鉄道利用を促進するためには、事業者と利用者の考える認識のズレを小さくすることが理想です。そのためには、利用者の情報ニーズの詳細を調べ、効果的な情報提供のあり方を検討することが必要です。今後は、さらに調査研究を積み重ね、具体的な改善方法を提案していきたいと考えています。

  • 図1 「安全報告書」での情報掲載率
    図1 「安全報告書」での情報掲載率

参考文献

宮地・岡田・黒丸:鉄道利用者への安全関連情報の提供に関する基礎的検討,日本信頼性学会 春季信頼性シンポジウム,2014

(安全性解析グループ 宮地由芽子)

踏切事故の要因-踏切周辺の道路交通環境-

はじめに

 踏切事故の発生に影響を与える事象の一つとして、踏切を通過する自動車の交通量が挙げられます。一般的に、自動車の交通量が多ければ、踏切で自動車と列車が出会う機会も多くなるので、踏切の事故も起こり易くなります。

 しかし、踏切を通過する自動車交通量が比較的少なくても、踏切周辺の交通環境によっては、踏切事故が起こり易くなります。今回は、そのような踏切周辺の交通環境の特徴について紹介します。

踏切周辺の交通環境

 鉄道総研では、従来から、各踏切の踏切事故件数と設備データ(自動車や列車の交通量、踏切の長さなど)を用いて、各踏切の安全性を事故件数の推定値として評価する手法を開発してきました。しかし、この従来手法を踏切データに適用すると、実際の踏切事故件数は多いのに、推定した値の方は非常に少ない踏切が見つかりました(図1(a))。そこで、実際に何箇所かの踏切に行き、現地調査を行ったところ、次のような特徴が見つかりました(図1(b))

(ア) 踏切から交差点までの距離が近い

(イ) 交差点で交差する道路の自動車交通量が多い

(ウ) 交差点の脇に自動車が退避できるスペースがない

 このような踏切では、交差点で交差している道路の交通量が多いため、踏切を通過した自動車がなかなか前に進むことが出来ないという現象が多く見られます。そのため、警報が鳴った時に、踏切から完全に抜け出すことが出来なかったり、先行車は抜けられても、後続車が踏切内に閉じ込められたりということが起こり易くなります。一方、踏切脇に退避するスペースがあれば、そこに移動できるので、踏切事故を回避し易くなります。

 実際に、上記(ア)~(ウ)の3条件に適合する踏切とその他の踏切をデータで比較したところ、3条件に適合する踏切の方が、統計的に有意に事故が起き易くなっていることがわかりました。

おわりに

 踏切事故の背景には踏切の設備以外にも、踏切周辺の交通環境、天候、ドライバーの心理状態など様々な要因が考えられます。今後も要因の検討を続け、事故原因の解明に繋げていきたいと考えています。

  • 図1 踏切周辺の交通環境
    図1 踏切周辺の交通環境

参考文献

畠山直,宮地由芽子,栗原靖:積雪・寒冷地における踏切安全性評価手法,鉄道総研報告,Vol. 28,No. 5,2014

(安全性解析グループ 畠山  直)

鹿のことが知りたい

 以前にもご紹介しましたが、生物工学グループでは鹿と車両の衝突件数削減方策の検討をテーマの一つとしています。鹿と衝突することは、列車の遅れなどサービス品質の低下を招くだけでなく、乗務員や保線員の負担増にもつながりますので、少しでも件数を減らす方法を考えたいと思います。そのためには、鹿について良く知る必要があると考え、鹿の生理・生態などについて動物の専門家や過去の研究などから情報を集めるようにしています。今回は、鹿に関する情報の一部を紹介します。

どれくらいの数がいるのか

 国による推定では、平成23年時点での鹿個体数は、本州以南全体で261万頭とされ、このまま何もしなければ平成35年には500万頭(本州以南)に達すると予想されています。鉄道車両との衝突が近年増えている理由は鹿個体数の増加にあると考えられていますので、さらに個体数が増えれば今以上に衝突が発生するかもしれません。鹿による被害低減のため、国は平成26年以降に毎年54万頭以上を捕獲し、平成35年の個体数(本州以南)を130万頭まで減らそうと計画しています。(ちなみに、平成23年度の捕獲実績は27万頭(本州以南)とのことです。)なお、北海道にはこれとは別に64万頭(平成23年)のシカ(エゾシカという亜種)がいて、平成28年には38万頭とすることが目標になっています。

どれくらい跳べるのか

 鹿の侵入を防ぐ方法としては鹿止め柵などの物理的な対策が一般的ですが、鹿に飛び越えられない高さが必要です。このため、生きている鹿(北海道に生息するエゾシカ)を使ってその跳躍力などを調べた例がいくつかありました。それらによると水平方向の跳躍距離は平均3.72m、最高では4mを越えたそうです(いずれも成獣の雄の場合)。また、垂直方向では、高さ2mの柵は跳び越えられる個体もおり、跳び越えをなくすには2.2mの高さが必要だったそうです。一方で、地面と柵下端の間に40cmの隙間があればすり抜けてしまうということです。これらはいずれも体が大きいエゾシカで得たデータですので、より小さい本州以南の鹿では跳び越え可能な高さは低下するかもしれません。また、逆にもっと小さな隙間でも、本州の鹿ならばすり抜けてしまうのかもしれません。

人よりも耳はよいのか

 オジロシカという種類の鹿で、聞こえる音の範囲を調べた例があります。この研究によるとオジロジカにとっては4~8kHzの範囲が最もよく聞こる音であり、また、少なくとも0.25~30kHzの範囲の音ならば聞くことができるとしています。人の場合は、高周波側の可聴域が20kHz前後までと言われていますので、人間には聞こえない音もオジロシカには聞こえているということになります。(さらに、トナカイでは60Hz~38kHzまでの音が聞こえるというデータがあるそうです。)視覚と嗅覚については、今のところ具体的なデータを見つけることができていません。「視覚は人間と同じくらい」「嗅覚は人間よりもかなり良い」という記述をインターネット上などでは見かけるのですが、その根拠にはたどり着けていません。

なぜ線路に現れるのか

 過去の研究では、線路の両側に休息地(森林)とエサ場(草地)が存在するため、やむを得ず線路を横断し、一部の個体が列車と衝突する、と結論していました。一日の中の衝突件数の変動がこの考えと良く一致することから、このような考え方が基本になってきました。しかし、実際に車上から観察してみると、単純な一方通行の動きではないように感じられます。線路に現れる理由については、もう一度精査する必要があるかもしれません。

 鹿について調べるにつれて、わかっていない事が多いことがわかってきました。このため、列車が近づいたときに鹿はどういう反応を示すのか、など基本的な事も含めてその行動を調べています。地味な活動ですが、鹿のことを正確に理解し、しっかりした根拠に基づいた対策を考えていきたいと思います。


(生物工学グループ 早川 敏雄)

時計遺伝子と生体のリズム

はじめに

 夜寝て、朝起きる。人間(生き物)の生活には、およそ1日の中で繰り返されるリズムがあります。最近では、そのリズムに関する理解が進んでいます。例えば、冒頭に書いたほぼ1日単位のリズム(慨日リズム)は遺伝子(時計遺伝子群)によって刻まれていることがわかっています。また、そのリズムに対応して、生理面でも大きな変化があらわれること、また、それらを要因として疾病の悪化や発症の割合が高い時間帯があることなどが明らかとなり、治療のための薬の投与などもそのリズムに合わせることで、効果を高める処方をする方向(時間薬理学)となってきています。ここでは、この生体リズムを遺伝子の側面で取り上げ、紹介します。

生体リズムを刻む遺伝子

 生物にほぼ24時間のリズムがあることは、ショウジョウバエを用いた研究などで、1970年代には分かっていましたが、遺伝子レベルでの理解は進んでいませんでした。その後1997年に24時間のリズムで動いているClock(クロック)遺伝子が哺乳類の中で発見されてから、生体リズムに関連する遺伝子の研究が飛躍的に進展し、これまでに多くの関連遺伝子が発見され時計遺伝子群と呼ばれています。これらの遺伝子は、例えば人間であれば、視覚による光の刺激により、その働きが24時間周期にリセットされながら、それぞれの遺伝子がつくるタンパク質が互いに作用しあうことで、リズムを生じています(図1)。そして、この時計遺伝子の信号が体中の細胞で同調し、人間であれば60兆の細胞からなる生命活動を紡ぐもととなっています。

生体リズムの乱れの影響

 この生体リズムが乱れるとどうなるでしょうか?よく眠れないと、翌日の日中は注意力が散漫となり能率が落ちるなどは経験からも簡単に想像がつきます。これに加えて、最近では、メタボリックシンドロームやがんその他さまざまな疾病の発症にも影響する可能性が指摘されるとともに、自閉症やうつ病などの方ではこのリズムが乱れていることも指摘されています。

 健全な社会生活を送るために、生活リズム、特に睡眠リズムを整えるなど当たり前のことでもありますが、不規則な生活や、体内での気づかないリズムの変調など、意図せずにリズムが乱れる場合もあります。しかし、この乱れは、体調にとってさまざまな悪影響があるため、意識して生体リズムを測り、もし乱れているようであれば、それを整えるための時間をとることは、とても重要なことです。

生体リズムを測る

 それでは、生体リズムを評価するためにはどうしたら良いのでしょうか?

 これまでは、睡眠時間の測定、アクチメーターなど加速度センサーによる活動度の測定などが一般的でしたが、最近では生体信号(脳波など)や血液・組織中のたんぱく質、細胞内での遺伝子の発現量などにより生体リズム(慨日リズム)を測定することが可能となってきています。さらには、唾液の中の慨日リズムマーカーなども発見され、それを用いた測定システムの開発も進められています。将来は簡易な生体リズム計測器を用いて、個人個人の長期的なデータを取得することで、長期的な生体リズムの変化の仕方とその意味、あるいは個人レベルでの体調管理などに有効利用できるかもしれません。

おわりに

 ヒューマンファクターを研究する上で、今回紹介した生体のリズムの詳細な機構なども含め、人間そのものの仕組みを様々な角度から理解することは、とても大切なことです。総研では、これまでにも、人間工学グループを中心に疲労や眠気に関する生理・心理学的な研究を進めてきました。本稿で紹介した時計遺伝子など、体内の機能やその制御を詳細に解析する生物科学的な研究成果を取り入れることで、鉄道の安全に資するヒューマンファクター研究をさらに進展できるのではないかと考えています。

  • 図1 時計遺伝子のリズムのイメージ<br />時計遺伝子Aと時計遺伝子Bは、互いに作用しあうことで、ほぼ24時間のリズムで増減をくりかえす。
    図1 時計遺伝子のリズムのイメージ
    時計遺伝子Aと時計遺伝子Bは、互いに作用しあうことで、ほぼ24時間のリズムで増減をくりかえす。

(生物工学グループ 池畑 政輝)