しっかり人を理解する

 「人間科学ニュース」をいつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。「人間科学ニュース」は鉄道総研人間科学研究部の広報誌でありますが、幣研究部の前身である鉄道労働科学研究所におきまして1967年「鉄道労研ニュース」としてスタートし、1990年に現在の誌名に変更をしまして、今年で48年目を迎えました。現在、お陰様で約3600部を発行するに至っており、読者の皆さまからご感想やご意見を多数いただくなど幅広くご愛読いただいていることを実感しております。今後更に充実させていきたいと考えている次第です。

 人間科学研究部は「安全心理」「人間工学」「安全性解析」「生物工学」の4研究室で構成され、本号は年度替りの号としまして、各研究室の今年度の活動計画をご紹介しております。目指すところは、鉄道を利用しているお客様、そして鉄道を動かしている従業員の方々、この両者を対象として、その心理、生理、行動の特性を測定、評価、解明し、鉄道システムの安全性向上、快適性向上のための問題解決や対策提案をすることです。その際、提案の根拠となる人の特性を理解して頂いた上で成果・対策を使って頂くことが重要と考えています。人の本質的な特性に基づかない提案は人間科学の成果とは言えませんし、効果のある対策でも根拠が理解されていないことで効果が低減したり、正しい使い方になっていなかったり、継続しなかったりすることがあります。そうならないためには、各課題に対してヒューマンモデルをしっかり作って臨むことが必要だと考えています。良いヒューマンモデルを作ることは、人をしっかり見つめ、理解することに他なりません。今後、こうしたモデルを土台として実用的な提案をし、有効にご活用いただけるように研究に取り組んでいく所存です。

(人間科学研究部長 小美濃 幸司)

平成27年度の活動計画(安全心理)

 私たちのグループは、ヒューマンエラー事故の防止を目指して、運転関係従事員の心理的な資質や職務能力、これらに影響するさまざまな条件などを明らかにし、適性検査や作業環境整備、教育・訓練などに役立てるための研究を行っています。

○高齢ドライバーの踏切事故防止

 一般の交通事故に比べて、踏切事故での割合が高い高齢ドライバーに着目した検討を行っています。

 昨年度は、60歳以上のドライバーと20~30歳代のドライバーとの間で、踏切の通行に対する安全意識や、竿が降りて踏切内に閉じ込められた(トリコ)際の対処法の知識等に違いがないかを調査しました。トリコの場面は映像を見せて(図参照)、その後どう対処するか、そのときどのような想定をしたか、などを聞きました。

 今年度は、その結果の分析と考察を行います。高齢ドライバーと若年ドライバーの間に違いが見られる点があれば、それが高齢ドライバーの事故原因となりうるかどうかを検討します。

 また、実際の踏切の通行の様子を観察し、高齢者の特徴を検討します。また、踏切進入時の判断やトリコに関する実験を行います。

○意思決定スキルの測定に向けた意思決定課題

 鉄道現場では、時に複数のリスクが存在する状況で適切な意思決定を行うことが必要です。そのような状況下における意思決定スキルを向上させるための研究開発を開始します。

 本年度は、複数のリスクが存在する作業場面の実態把握を行います。また、実際の現場と同様に悩んだり緊張したりする状態を再現する意思決定課題の作成に取り組み、原案を作成します。

○コミュニケーションエラー防止手法の検討

 作業指示場面等において、情報が正しく伝わらないというコミュニケーションエラーが発生することがあります。コミュニケーションエラーに起因する事故防止目的として確認会話や復唱等様々な対策が実施されておりますが、依然としてコミュニケーションエラーに起因する事故や事象が起こっています。

 そこで、コミュニケーションエラーが発生するメカニズムや既存の対策の調査や検証実験を通して、より効果的な防止手法・訓練方法等を検討します。本年度は、実態把握を行います。

○海外での発表

 鉄道総研ではビジョン(RISING)を策定しました。定められた3つの使命の1つは、「日本の鉄道技術の先端を担い、世界の鉄道技術をリードすること」です。そこで今年度は海外で以下の3件について研究発表を行います。

・ 指差喚呼の体感効果学習ソフトと研修方法

  3rd UIC World Congress on Rail Training

・ コメンタリー運転法

  The Fifth International Rail Human Factors Conference

・ コミュニケーションエラー

  6th International Conference on Applied Human Factors and Ergonomics 2015

○その他

 昨年度は、エラー防止策(ダブルチェック、マニュアル作成、安全パトロール、コメンタリー運転法)の効果検証や、事故防止対策検索サイトの提案、自主的に自分の失敗した事象を報告することを促進する教育の提案等の成果をまとめました。

 また、シムエラー指差喚呼版と新たに作成したエラー体験版の販売およびそれを用いた研修のやり方の相談をお受けします。

 運転適性検査員講習会の講師、検査冊子や教示CDの販売、検査処理プログラムの販売などに取り組みます。

  • 図 トリコ状況説明映像
    図 トリコ状況説明映像

(安全心理グループ 井上 貴文)

平成27年度の活動計画(人間工学)

 人間工学グループでは、“鉄道を利用する人”と“鉄道で働く人”のそれぞれを対象として、利用環境や作業環境を“安全・安心”や“快適・便利”の視点で向上させることを目指し、人間の形態・運動・生理・認知・行動特性などの諸特性を調べ、評価手法や改善方法を提案しています。平成27年度に取り組む主な研究の概要をご紹介します。

鉄道を利用する人を対象とする研究

(1) 踏切通行者の実態把握

 本研究では、踏切を通行する歩行者を主な対象としています。踏切通行者の実態を調査し、通行者の特性や通行時の周囲の状況などを考慮した通行行動モデルの構築を目指します。本研究で構築した通行行動モデルは、踏切の安全性向上策の効果の予測などに活用していきます。

(2) 列車事故時の車内安全性評価

 災害や事故によって車両に衝撃があったときの被害軽減を目的としています。衝撃加速度、車内設備のレイアウト、乗車姿勢などの条件の違いによる乗客への影響を鉄道総研で構築したシミュレーション手法を用いて評価し、被害が大きくなってしまう条件を探索して安全対策を検討します。

(3) 視覚障害者誘導用ブロックの輝度比

 視覚障害者誘導用ブロックの利用者には弱視者も含まれます。このブロックが、弱視者に対して適切に視覚的誘導機能を発揮するためには、周囲の床面との輝度比が適切であることが求められます。本研究では、駅における輝度比の測定・評価手法の提案と、輝度比が小さい場所における改善方法の提案を目指します。

(4) 振動乗り心地評価

 振動乗り心地は、鉄道の快適性において重要な要素であり、車両、軌道、運転などの複数の分野が関わっています。本研究では、振動乗り心地の品質向上への貢献を目指し、乗客の感覚により近い評価手法を検討するとともに、従来の方法では検出しにくい振動を含めた不快な振動を検出する手法も検討します。

(5) 車内温熱環境の評価

 車内温熱環境の快適性評価方法の提案を目指します。車内温熱環境の実態や人の生理状態および心理状態について基礎データを取得し、鉄道車両固有の温熱環境における快適性予測モデルを構築します。

鉄道で働く人を対象とする研究

(6) 生理指標による運転士の状態モニタリング

 運転士が良好な運転パフォーマンスを維持できるように、非拘束で運転士の心身状況を把握して適切に支援するための技術を開発することを最終目標としています。さまざまな生理指標から運転士の状態変化を検出できるものを探索していきます。ウェアラブルセンサなどの最新のセンシング技術を活用するとともに、新たに脳活動の計測にもチャレンジします。

(7) 輸送障害時の臨機応変な案内能力

 研究成果は輸送障害に遭遇した利用者の安心や便利につながるものですが、利用者に運行情報を発信する立場の“鉄道で働く人”を対象とする研究です。輸送障害時の案内放送は、利用者からご意見をいただく対象となりがちで対応が難しい業務です。臨機応変に対応する能力が求められますが、その能力を養成する手法については体系的な知見の蓄積が少ないのが現状です。本研究では、臨機応変な案内能力を養成するための手法の提案を目指します。

その他の人間工学分野のニーズへの対応

 これらの研究以外にも、人間工学関連のニーズに応じて、試験や調査に取り組みます。

 また、輸送障害時の案内放送に関する訓練教材や運転士のシミュレーター訓練用振り返り支援システムなどを積極的にご紹介させていただくとともに、より効果的にご活用いただくためのご相談にも応じていきます。

(人間工学グループ 藤浪 浩平)

平成27年度の活動計画(安全性解析)

 事故やトラブルの防止策をきちんと検討するためには、事象の関係者の行動や発生状況等について十分な情報収集を行うことが重要です。そこで、事象の関係者から背景要因についての情報を収集する方法「鉄道総研式事故の聞き取り調査手法」やその結果を整理・分析する方法「鉄道総研式ヒューマンファクタ分析法」を開発し、指導を行ってきました(図1)。また、職場の安全風土の評価を行い、得られた知見をもとにした改善のための支援を行ってきました。さらに、近年は、異常時という緊張場面でリスクを含む情報を相手に正確・円滑に伝達するために留意すべき項目をまとめ、適切なコミュニケーション技術を習得するための訓練手法を開発しました。

 このように、安全性解析グループでは、鉄道事業者の安全マネジメントの実施や安全風土醸成を支援するための研究開発に取り組んでいますが、平成27年度に取り組む主な研究の概要を以下に御紹介します。

◎ヒヤリハットを活かした分析法の効率化

 事例分析を経験するなど、ヒューマンエラーの背景要因について考察するプロセスを経験すると、ふだんの作業や職場で安全に関する気づきが報告されやすくなります。しかし、せっかく報告された情報も、安全マネジメントに活かさなければ意味がありません。

 そこで、ヒヤリハット情報から得られたリスク情報を用いて、事例の分析法の効率化を図るための研究開発に取り組んでいます。これにより、既存の分析法に取り組み易くなるようバージョンアップを目指しています。

◎現場で求められるコミュニケーションスキル

 ふだんから相談や報告がし易い職場であることは、職場の安全風土の醸成において、とても重要です。また、職場内のコミュニケーションの活性化において特に重要な役割を担うのは現場の管理者です。しかし、鉄道では、業務の多くは管理者から離れた場所で行われているため目が届きにくいという側面があります。また、管理者も人間ですから、得意/不得意もあります。

 そこで、鉄道の職場でのコミュニケーションの活性化を図るために、まずは、鉄道現場の管理者に求められているコミュニケーションスキルを整理し、課題把握に取り組みます。

◎旅客対応時のトラブル発生メカニズムの解明

 鉄道システムの安全・安心のためには、鉄道事業者の組織内だけではなく、利用者も含めた全体的な視点で検討すべきです。そのため、鉄道に対する利用者のリスク認知の実態把握を行ってきました。その調査結果の中で、利用者がイメージする「鉄道の安全」は必ずしも安全な運行に関したことだけではなく、駅や車内で目にするトラブル等についても含まれていることがわかりました。

 そこで、旅客、駅係員、乗務員の安全・安心のため、また鉄道の安定輸送のためにも、旅客トラブル防止に向けた基礎的検討を開始しました。まずは、実際にどのような場面がなぜ発生しやすいのかといったトラブル発生に関わる要因を整理します。

◎踏切事故の原因分析

 従来から設備・道路状況から踏切の安全性を評価する手法を提案してきました。今年度も、事故の起きやすい踏切の特徴や条件を抽出・整理し、踏切を通行する自動車および歩行者等による事故を減少させるための研究課題を検討します。

  • 図1 既存研究の成果の例
    図1 既存研究の成果の例

(安全性解析グループ 宮地由芽子)

平成27年度の活動計画(生物工学)

 生物工学グループでは、鉄道利用者と鉄道で働く人々の健康や快適性に関することを中心に活動をしています。これまでに、駅や車内空間中の電磁界・化学物質・微生物を主な対象として研究を進めてきました。また、最近では鹿と車両の衝撃事故に関する研究など、生物がかかわる問題に広く取り組むようにしています。

◎電磁界の刺激作用の評価

 従来、電磁界の健康影響に関する一般的な興味は、発がんなどの疾病との関係に向けられてきました。一方で、科学的に確立した影響は、神経の刺激作用などの一過性の影響に限られています。刺激作用については、その防止を目的とした国際的なガイドラインが定められ、日本の鉄道でも、これを参考とした規制が一部で始まっています。しかしながら、電磁界の神経刺激作用の知見がある周波数は非常に限られており、実際に鉄道環境で発生している電磁界の神経刺激作用について明らかにする必要があると考えます。このため、幅広い周波数を効率良く、また再現性良く評価するために、試験管内で培養した神経細胞を用いる新しい実験系の開発をおこなっています。これまでに、細胞の培養法や、電磁界をばく露しながら神経活動による変化を観察できる装置、強い電磁界を発生する装置を検討してきました。今年度は細胞へのばく露実験を開始し、電磁界のばく露による神経細胞の刺激と、そのいき値の検討を進めます。

◎鉄道関連空間の臭気の研究

 鉄道における臭気対策では、車内やトイレ等、お客さまが利用される空間の快適性を高めることに加え、鉄道従事員が利用する空間を快適にしていくことも重要であると考えます。たとえば、高架下や地下空間などに設けられた休憩室や宿泊室などは、締め切りがちなため、湿度が高くなりやすく、カビが繁殖して不快な臭気を感じることがあります。こうした場合には換気が有効であると言われていますが、構造的に換気設備を追加することが難しい場合もあります。そこで、既にカビ臭が気になる空間の空気環境やカビの繁殖状況を詳しく調べることで、カビの特性を明らかにし、繁殖防止技術への利用を目指しています。今年度は、駅休憩室などでカビ指数(カビの発育しやすさの指標)の測定(図1)等を行い、室内の何処でカビが繁殖しやすく、その理由は何か、を明らかにしたいと考えています。

◎「香り」の利用に関する研究

 これまでは、不快な「臭気」を研究対象としてきましたが、今年度から「香り」による快適性の向上の研究にも着手します。

 空間に香りを付加することで、香りがもつ印象や、リラックス効果、疲労回復効果、涼感効果などを利用して空間の快適性を向上させる方法について検討します。今年度は、いろいろな香りが人に与える印象や効果を調べ、駅空間に適した香りの選定を行う計画です。

◎野生生物対策に関する研究

 鉄道では、鹿と車両の衝撃事故が増えています。鉄道事業者はいろいろな対策を試みていますが、鉄道総研でも、鉄道事業者のご協力をいただきながら、既存対策の評価や事故が発生する時の状況の把握などを行ってきました。今年度は、衝撃事故が発生する箇所の環境を調査し、環境要因などと鹿衝撃事故発生との関係を調査する予定です。また、対策技術の一つとして、音を利用して鹿の危険な行動を制御することを検討します。

  • 図1 カビ指数の測定風景
    図1 カビ指数の測定風景

(生物工学グループ 早川 敏雄)