他山の石の価値

 安全教育の古典的な手法として「他山の石」があります。広辞苑によれば、「詩経」にある「他山の石、以て玉を攻(おさ)むべし:よその山から出た粗悪な石でも、自分の宝石を磨く役には立つ」より、「自分の人格を磨くのに役立つ他人のよくない言行や出来事」とされています。筆者も若い頃、保線職場の管理者を務めていた時は、安全教育の材料として他の職場で起こった故障や事故の例を説明して、「これを他山の石として自分のところでは起こらないようにしましょう。」とやったものです。

 実際にどこかで起こったことですから、単なるマニュアル教育とは違って具体性や説得力があります。しかし、そのような場面に遭遇した際に状況認識(気づき)ができるか、適切に対処できるかは、他山の石、即ちその事例の重大さ、影響度、職種、物理的な距離などによって大きく異なります。これらは素材の価値と言えます。

 他山の石の価値を高めるためには、安全教育をする人が、それを自分の職場に当てはめるとこのような場合が考えられると具体的に示して、受講者に他人ごとではなく自分の身の周りでも起こる可能性があることを実感してもらうことが大切です。鉄道総研が開発した「事故のグループ懇談手法」は、同じ職場の人が持つ事故やヒヤリハット経験、危険の気づき、事故防止の工夫などを他山の石として、参加者の安全意識を高め、職場の安全文化を醸成するための手法です。ぜひ参考にしていただきたいと思います。

 世の中には他山の石がたくさん転がっています。このことわざの由来にあるように、他山の石は集めることではなく、それを砥石として使って自らの玉を磨くことに意義があります。自分の職場に合った使い方を工夫して、他山の石の価値を高めましょう。

(専務理事 高井秀之)

「鉄道総研式 事故の聞き取り調査手法」の有効性

はじめに

 事故やトラブルの防止には、関係者の行動や発生状況等の十分な情報収集が必要です。そのため、鉄道の現業機関では、事象の関係者を対象にした聞き取り調査を行っています。しかし、従来は標準となる手法がなく、情報不足により調査や報告の手戻りが発生しやすくなっていました。

 そこで、我々は、事故等の発生状況や背景要因についての情報収集を現業機関で効率的に行うための聞き取り調査手法を開発し、その有効性を検証しました1)

開発した手法の特徴

 開発した手法は、鉄道現業機関で蓄積されていたノウハウと心理学の専門技術を融合したものですが、その主な特徴は、下記の通りです。

 ・ 調査開始時に、関係者(調査の対象者)との間に信頼関係を構築するための配慮を行う

 ・ 調査開始時に、事象についての記憶の想起を求め、関係者の自由な報告を促す

 ・ 事象の関係者の話をよく聞く

 ・ オープンな質問(「はい」や「いいえ」で簡単に答えられない質問)や様々な視点による多角的な質問を行う

有効性の検証

 開発した手法の実際場面での有効性を検証するため、聞き取りの「実施者」と対象者である事象の「関係者」の発話内容について、開発した手法を試行した場合(40事例)と導入前の方法で聞き取りをした場合(56事例)を比較分析しました。

 その結果を図1に示します。この結果、聞き取りの「実施者」による“自由報告を促す場面”や“背景要因についての質問”での発言量が、新手法では増加することがわかりました。

 また、聞き取りの対象者である事象の「関係者」の“背景要因についての供述”の発言量も、新手法では、導入前に比べて2倍以上に増加することがわかりました。

 ここで検証対象とした事例には、いろいろな事例が含まれています。したがって、検証したデータのバラツキがとても大きいのですが、それでも、新手法による発言量の増加は統計的にも意味があることが確認できました。

おわりに

 実際に現業機関での新手法を試行した結果、聞き取りの対象者である事象の「関係者」の背景要因についての発言量が有意に増加しました。すなわち、開発した聞き取り調査手法は、背景要因に関する情報取集を行うための手法として有効であることが確認できました。

 聞き取り調査やその実施者に対する現業機関での印象が好転すれば、職場内の信頼関係を良好にし、安全への取り組みへの協力を促すことが期待できます。なお、本手法の内容をご理解いただくためのマニュアル2)を作成し、販売しています。また、手法を導入していただくための研修支援なども承っています。

  • 図1 調査場面の発言量の比較結果 <sup>1)</sup>
    図1 調査場面の発言量の比較結果 1)

参考文献

1) 宮地・鏑木・岡田:事故の背景要因に対する聞き取り調査手法と教育プログラム, 鉄道総研報告, Vol.29, No.7, pp.5-10, 2015

2) (公財)鉄道総合技術研究所:「鉄道総研式事故の聞き取り調査マニュアル」, 2014

(安全性解析グループ 宮地由芽子)

指令員のための異常時のコミュニケーション訓練方法

はじめに

 強風や大雨が発生した場合や列車の機器故障が生じた場合には、指令員同士、または、現場の乗務員や駅員等と指令員の間で連絡を取りながら、異常時の対応を行います。このとき、お互いの情報伝達が正確で円滑に行われることによって、ミス等を防ぎ、より早く列車運行を正常に戻すことができます。

 そこで、我々は、指令現場で容易に実施可能なコミュニケーション技術の向上のための訓練方法を開発しました。

訓練方法

 訓練の流れを図1に示します。まず、訓練の前にコミュニケーション技術の留意点に対する「意識づけ」を行います。この留意点は、実際の指令業務で起きた情報伝達失敗事例をふまえて作成しました。

 次の「シナリオ訓練」で、指令員役、乗務員・駅員役などの各役割に分かれ、場面の状況と各役割の発話に関する指示を受け、異常時の対応を行います。指示は状況説明用紙(図2)によって行います。用紙には、特定の役割の人にわざと言い間違いや情報の不足した発話をするような指示も含まれており、対応する相手のエラーを誘発する仕組みになっています。

 このシナリオ訓練中の会話の様子はビデオで撮影し、シナリオ訓練後に、訓練参加者がビデオを見ながら、自分自身あるいはお互いの発話を「振り返り」、気付いた点について議論します。その後、再度、コミュニケーション技術の留意点に対する「意識づけ」を行います。

 また、シナリオ訓練の1~2ヶ月後に、ふだんの業務の中で、コミュニケーション技術の留意点の各項目を、どの程度実行できたかを評価し、「ふだんの業務の振り返り」を行います。

 本訓練方法は、「シナリオ訓練」とその「振り返り」、および、前後の「意識づけ」を含め、2時間半以内で実施できます。また、状況説明用紙の配布でシナリオを進行するため、会議室等で実施できるように構成されており、指令現場で容易に実施可能な方法となっています。

おわりに

 本訓練手法を実施することにより、異常時に対する安全意識の向上および協調態勢の強化を促すことが期待できます。その有効性の確認結果については次回紹介します。今後は、事業者への訓練方法導入の支援等に取り組んでいきます。

  • 図1 訓練の流れ
    図1 訓練の流れ
  • 図2 状況説明用紙
    図2 状況説明用紙

文献

畠山・岡田・羽山・鏑木・宮地:異常時における指令員のコミュニケーション技術訓練手法, 鉄道総研報告, Vol.29, No.7, pp.11-16, 2015

(安全性解析グループ 畠山直)

室内で生えるカビ

 皆さんの周り、例えば、地下にある会議室や高架橋下の宿泊施設といったところで、一所懸命掃除や換気をしているつもりなのに、どうしてもカビが生えている、又はカビくさい、といったところはありませんか?今回は、こういった室内に生育するカビについて考えてみたいと思います。

カビといっても種類は多い

 実は、カビは、土の中をはじめとした屋外に多く存在しています。また一般的に、カビは高温高湿が大好きと思われていますが、実際には様々な環境、例えばびしょびしょに濡れた環境では生育できないけれども、少し乾いた生乾き状態であれば生育できる、といったカビも存在します。ですから、換気等をした際に、外から屋内にカビが流入し、屋内環境がカビに適していると増殖し始めることになります。カビの基本形態は、菌糸と胞子から成ります。生育に適切な環境になると、胞子から菌糸が伸び始めます(発芽と言います)。さらに菌糸が生長すると次の世代の胞子を形成し、胞子は環境中に飛び散り、再び発芽し増殖を繰り返すのです1)。では、どのような環境要因がカビの生育に関わるのでしょうか?

カビの生育に関わる要因

 カビの生育に関与する環境要因としては温度、湿度、pH等が主に知られています。しかし、屋内の空間も実際には温度分布があったり、その環境が一様でない場合もあります。そこで、より正確にカビの生えやすさを把握するために、カビセンサーを利用します。低湿でも生育できるカビ、高湿で生育できるカビを含む3種類のカビの胞子を利用して、カビの生育度を測定できるセンサーです。具体的には、プラスチック板上に乾燥したカビ胞子と栄養分を添加し、水分を通せるフィルムで覆い封入した形状となっています(図1上)。乾燥状態で保存すると、胞子はそのままの状態です。しかし、このセンサーを環境中に設置すると、環境中の温湿度に応じて、胞子が発芽します。この菌糸の生長は、センサー周囲の温湿度に依存することが報告されています。この性質を利用して、建物内にこのカビセンサーを設置し、センサー内の胞子から生長する菌糸の長さと設置日数からカビ指数を算出します2)。カビ指数が高い値を示す程、その環境内は、短時間でカビの発芽がみられる環境であることを示しています。

カビ指数から分かること

 これまでの計測結果から(表1)から、浴室でのカビ指数は、概して20以上であると報告されています。みなさんの周囲で、カビ指数が20を示す場所があれば、水を大量に使用しなくても浴室と同程度カビが生育する環境であり、3日間その状態が続くと、カビ胞子が発芽し、カビが増殖し始めると予想できます。このようにカビ指数が分かると、よりその場所のカビの生育条件を把握できることから、現在、鉄道の現場でカビ指数の測定に取組んでいるところです。

  • 図1 カビセンサー模式図 <sup> 2) </sup>(上)と設置の様子 <sup> 2) </sup>(下) 
    図1 カビセンサー模式図 2) (上)と設置の様子 2) (下) 
  • 表1 カビ指数と住居内の環境例 2)
    表1 カビ指数と住居内の環境例 <sup> 2) </sup>

参考文献

1) 高鳥浩介監修 かび検査マニュアルカラー図譜:テクノシステム社, p.34-39, 2002

2) 環境生物学研究所HP http://www1.kamakuranet.ne.jp/kabi/Japanese/index.html

(生物工学グループ 川﨑たまみ)

好き嫌いを二過程モデルから捉える

二過程モデルとは

 初めて新幹線に乗ったのは、小学校就学前の親子遠足でのことでした。普段は忙しい母が、同じ景色を見て、同じ時間を共有してくれることが嬉しく、新幹線には今も良い印象を持ち続けています。

 印象形成や意思決定、態度変化などの研究領域では、近年、二過程モデルと呼ばれるモデルが提唱されています。二過程モデルとは、人の認知処理の過程を直感的なシステム1と意識的なシステム2という2つのシステムから説明しようとするモデルです。2つのシステムの特徴を表1に示します。

 例えば、買い物をしていて、予定外の洋服をつい衝動買いしてしまうのがシステム1の働きであり、新しいパソコンを買うために、価格、スペック、メーカー、使用用途など様々な要因を考え併せて慎重に決定を下すのがシステム2です。

システム1の影響力

 冒頭の体験は、新幹線に好意的印象を形成した例ですが、システム2の働きが未成熟な幼児期の体験は、往々にしてシステム1での処理がなされやすいということが予測できます。例えば、幼児期に、満員の新幹線に乗って、静かに大人しくしていることを強要され、ぐずれば親に叱られるという体験をした人は、この経験を覚えていなくても新幹線は「何となく苦手」という印象を抱きやすいことが推測されます。

 同じシステム1であっても、「苦手」もしくは「嫌い」といったネガティブな印象形成は、進化的に古い脳の働きによるものなので、「好き」に比べて、より態度変容を促すのが難しいと考えられます。例えば、一度食あたりを起こした食べ物が苦手になってしまうという場合がその典型として挙げられます。このような嫌悪学習は、容易にその結びつきを消去することができません。したがって、乗車促進を目指すには、少なくとも「嫌い」と印象付けられないことが重要となります。

 我々の調査では、一般に、新幹線乗車に対する事前の期待が高いほど、実際に受けた印象も良くなることが確認されています。しかしながら、鉄道が嫌いと回答した人では、この期待効果が弱まってしまうこと、実際の印象が良くても満足感に結びつきにくいことが明らかとなっており、システム1に相当する「好き」「嫌い」のような直感的印象が、様々な要因に影響を与えることが分かっています。

システム1は悪者か

 伝統的な意識・無意識の研究領域では、システム1に代表される衝動的で感情的な働きは、システム2の論理的で合理的な働きを阻害する要因として位置づけられ、研究が進められてきました。しかしながら、2000年頃から台頭し始めたポジティブ心理学の分野では、システム1のような働きを必ずしも悪者として扱ってはいません。嫌悪学習も、動物にとって危機的な状況を回避することを目的とした、生命維持になくてはならない機能と言えます。システム1のポジティブな働きとして注目されている概念には、瞑想に代表されるマインドフルネス、スポーツ選手に多く見られるというフロー体験などがあります。

システム1を活用する

 なぜ「好き」なのか、なぜ「嫌い」なのかという理由を言語化するのはシステム2の働きですが、それがシステム1が捉えた「好き」「嫌い」の本当の理由であるとは限りません。親子遠足が現在の好印象につながっているという解釈も、システム1が捉えた印象をシステム2がもっともらしく後づけしたものに過ぎず、無意識に「好き」と捉えている本当の理由はわかりません。強固で塗り替えの難しいシステム1の働きに対しては、それを意識的に克服するという視点から、どのように活用すれば、鉄道への好印象をもたらすのかという視点へ、発想を転換した方が効果的と言えそうです。

 我々は、このような人の特性を踏まえた上で、システム1にポジティブに訴える戦略が乗車促進の一つの鍵となるのではないかと考えています。例えば、子ども向け企画列車やスタンプラリーなどは、システム1に訴える良い取り組みではないでしょうか。

  • 表1 二過程モデルの2つのシステムの主な特徴
    表1 二過程モデルの2つのシステムの主な特徴

(人間工学グループ 鈴木綾子)