脳と心の関係 -哲学から科学へ-

 日常生活の中で脳と心の関係について考えることは、医療従事者や一部の専門家でない限り、ほとんどないのではないでしょうか。脳神経外科等を受診した際に自身の脳や心の健康について心配することはあっても、「脳と心は異なるものなのか」、「心はどこに存在するのか」等ということを自問自答するような人は希ではないかと思います。

 古代ギリシアのプラトンは、ティオマイオスの中で「神々は、人の神聖な理知的魂を頭に住まわせ、無論理な獣的魂のうち良い部分は心臓に、諸々を欲望する悪い部分は横隔膜より下の腹部と骨盤の中に置いた」と述べ、弟子のアリストテレスは、ペリ・プシュケースの中で「感覚、認識、知性、記憶といった精神活動に関与するものに加え、呼吸、睡眠、栄養、老化、寿命等の生命体に関与するものをプシュケーと呼び、それらは心臓に存在する」と述べています。これらは現代の医学・科学の視点からすれば誤った見解かもしれませんが、一方で人の心の働きを脳のニューロンの活動から説明しようとする研究者もいます。ここで言う「心の働き」とは、人の広範囲な精神活動と考えてよいと思いますが、もし、心の働きが全て脳の働きに帰着するのならば、脳という実態のある器官を直接測定することで、心の働きがわかるようになるのでしょうか。

 今日、近赤外光を利用して脳の前頭葉の血流量を測定する技術が一部の心の病気の診断に補助的に使用されるようになりました。従来、問診でしか診断できなかった心の状態が、脳の活動を計測することでわかるようになってきたのです。将来、脳と心の関係を科学的に説明できる日が来るかもしれません。無論、脳や心の研究は、倫理上の課題を慎重に整理した上で進める必要がありますが、こうした脳や心に関わる知識は、我々人間の行動をより深く理解する上で役立つばかりか、人工知能の開発に繋がる可能性もあります。技術が健全に発展すれば人類への貢献も大きいのではないでしょうか。鉄道の安全性向上に資する技術のひとつとして応用できる日もそう遠くないことでしょう。

(企画室長  奥井 明伸)

踏切通行ドライバーのweb調査

 統計によると、一般の交通事故に比べて踏切での事故は、60歳以上の高齢ドライバーが占める割合が大きいことが分かっています。そして、事故原因としては踏切内での「停滞」が最も多くなっています。そこで、「停滞」のうち進入タイミングが遅いため遮断かんに閉じ込められて出られなくなった事象についての情報を得るために、web調査を行いました。

調査対象者

 web調査会社に登録している一般のドライバーで、60歳以上の高齢者と20~30歳代の若年者を同じ人数とし、2617名に調査を実施しました。有効回答数は1643件、回収率は63%でした。

調査内容

 ①進入タイミングについて

  通行時の安全行動の実施の程度、効果の認識の程度、手間・負担の認識の程度を尋ねました。

 ②進出時について

  遮断かんに閉じ込められた状況をアニメで示し、対処方法について自由記述を求めました。

結果

 ①進入タイミングについて

  「踏切の向こう側(出口)が1台分空いてから進入しますか」について5段階で評価してもらった結果、実施すると回答した数が高齢者は若年者より多いことが分かりました(表1)。また、高齢者は若年者より、この安全行動の効果の認識は高く、負担は小さいと評価していました。

 ②進出時について

  インターネット上の各鉄道会社(支社含む)の191サイトから、踏切に閉じ込められた際の対処方法について調べたところ、記載のある17サイトのすべてで、車をそのまま前進させて遮断かんを押して脱出することが推奨されていました。

  対処に関する有効回答1282件のうち、車で脱出するという回答は639件(約50%)でした。高齢者の特徴としては、脱出する際に「ゆっくりと押す」という回答が若年者よりも少ないことでした。なお、17サイトのうち7サイトは「ゆっくり押す」ことを推奨していました。

  次に多い回答は「非常ボタンを押す」で、286件(約22%)でした。このうち、86件(約7%)はボタンを押した後に踏切内に戻ると回答しています。この行為は4つのサイトで危険と指摘されているもので、高齢者と若年者で差はありませんでした。

  他の危険な対処としては、遮断かんを手で上げようとするという回答で、33件(約3%)ありました。この回答は、高齢者の方が若年者より多いものでした。

  • 表1 「踏切の向こう側(出口)が1台分空いてから進入しますか」への回答件数
    表1 「踏切の向こう側(出口)が1台分空いてから進入しますか」への回答件数

高齢ドライバーの認識にみられる特徴とは

 進入時に、高齢ドライバー特有の認識の特徴は見つかりませんでした。ただし、調査結果は回答者の認識の反映ですので、実際の行動とは異なる可能性があります。

 進出時における高齢ドライバーの特徴の1つとして、車でゆっくり押すと遮断かんが折れずに上がること等の正しい対処方の知識が不足していることが分かりました。

 今後は、ヒアリングや踏切通行を模擬した実験を行い、高齢ドライバーの特徴を明らかにします。

参考文献

 井上貴文:高齢ドライバーによる踏切事故,人間科学ニュース,192,2014.7

(安全心理グループ  井上 貴文)

運転士支援に向けた生理データの活用(その2 呼吸振幅編)

はじめに

 近年、生理データを活用した人間の状態把握の研究が様々な分野で展開しています。健康管理ができる腕時計や、自動車分野のドライバーセンシングなど、広告等でご覧になった方も多いかと思います。

 人間科学ニュースNo.200(2015年11月号)で、鉄道分野における将来的な運転士支援システムの要素技術として、生理データを活用する研究やその意義についてご紹介しました。今回は、鉄道シミュレータで運転中に、前方に倒木を発見したときの生理的な変化を調べた実験結果についてご紹介します。

アクシデント課題(倒木条件)

 図1のような簡易運転シミュレータを構築し、健常な9人の一般男性(20~38歳)を実験参加者として、運転作業中の様々な生理量(脳波、心拍、呼吸、瞳孔径など)を測定する実験を行いました。実験参加者は運転作業に習熟するための十分な運転練習を行った後に、練習課題と同じ線路上に倒木がある運転課題を実施しました。なお、練習の段階で、緊急時には非常ブレーキをかけるよう伝えましたが、途中に倒木があることは事前に知らせませんでした。

 全ての実験参加者の倒木発見前後の結果を図2に示します。上図は呼吸振幅(呼吸の深さ)、中図は心拍数で、倒木発見前の値を基準として、倒木発見後の値を基準値で割って規格化しました。下図は倒木発見から非常ブレーキをかけるまでの反応時間です。この結果、全ての実験参加者の呼吸振幅が、倒木発見直後に減少しました。倒木発見の驚きや、状況把握のため意識を集中した状態2)と考えられます。一方、反応時間が最長の参加者Ⅰ(点線枠)だけが心拍数が顕著に増加しており、倒木の対応に慌てるなど、心理的な動揺が生じて反応が遅れた可能性があります。

  • 図1 実験中の実験参加者の様子
    図1 実験中の実験参加者の様子
  • 図2 実験参加者ごとの生理変化と反応時間<sup>1)</sup>
    図2 実験参加者ごとの生理変化と反応時間1)

おわりに

 このように、生理量の変化から心理的な変化を捉えられれば、運転中に心理的動揺による二次エラーの防止などに活用することができます。また、生理的な変化を蓄積していけば、その方の健康管理への活用も期待できます。

参考文献

1) 中川他:鉄道運転作業時の心理的動揺における自律神経系指標変化の基礎的検討, 日本人間工学,Vol.52,特別号,pp.322-323,2016

2) 大須賀:生理学実験入門 第4回自律神経系指標の計測,ヒューマンインタフェース学会誌,Vol.7,No.4,pp.285-290,2005

(人間工学グループ  中川 千鶴)

運転士のシミュレータ訓練での視線検知機能の活用

はじめに

 鉄道の運転士は様々な異常時に対応することを求められています。この対応力を向上させるための支援ツールとして、鉄道総研は異常時対応訓練用のシミュレータの研究に取り組んできました(人間科学ニュースNo.188、2013年11月号)。人間科学ニュースNo.198(2015年7月号)の「運転士のシミュレータ訓練用振り返り支援システムの活用」では、シミュレータ運転後に、運転中の操作や判断を思い出すことを支援する振り返り支援システムの活用方法をご紹介しました。ここでは、視線検知機能の活用方法について考えてみます。

視線を検知する

 視線を検知するためにはアイカメラ(またはアイトラッカーやアイマークレコーダ等)と呼ばれる装置を使います。これは、赤外線を目に当てて瞳孔の動きを捉えることで視線を検知するものです。帽子やメガネを装着する接触タイプとディスプレイの周辺にセンサを設置する非接触タイプがあります。接触タイプは頭部の動きを考慮できますが、被験者にとって帽子やメガネの装着が負担となる場合があります。非接触タイプは被験者の負担は軽減されますが、視線を検知できる範囲は限定されます。データ取得の手間や活用目的によって2 つのタイプを使い分けることが重要です。

運転士の視線の動き

 現状の訓練では発生した異常事象に迅速・的確に対応することに焦点が当てられていることが多いですが、運転中に前方に発生する異常事象を発見するには運転士の視線の動きが重要だと考えられます。

 運転士の視線の動きは人間科学研究部の前身である旧国鉄の鉄道労働科学研究所の頃から研究されています。列車運転中の注視時間の割合を算出した結果、車外は75~85%、車内機器は10~20%であり、また車外のうち前方は約50%、信号は約20%であったと報告されています。

 このような通常運転時の視線配分についての研究をもとに、現在、異常事象の発見と視線の動きの関係について検討しています。

視線検知機能の活用

 視線検知機能付き列車運転シミュレータ(三菱プレシジョン株式会社製)を使用した異常時訓練での視線の動きの一例をご紹介します。シミュレータに搭載された非接触タイプのアイトラッカーを使用して視線を計測しました。

 異常事象として、右側の隣接線が陥没しているシナリオを設定しました。それに加えてATS地上子の故障も予め運転士に通告し、左側のキロ程の標識に注意を向けさせる状況としました。

 視線の動きに顕著な違いが見られた例を図1、図2に示します。図1は左右を万遍なく見ている典型例です。図2は左側に注意が向いている典型例です。訓練の振り返り時に、このような視線の軌跡を本人に見せてあげることで、自らの傾向に気づく助けになると考えられます。

 また、このような傾向はATS地上子故障への対応の理解度や過去の異常事象の経験なども影響していると思われます。視線データとともに各運転士の知識や経験も考慮することで、より納得感のある指導に繋がると考えられます。

 今後、異常事象の発見と視線の動きの関係を詳細に探っていきます。

 ここで紹介した視線データの取得においては、北海道旅客鉄道株式会社の関係者の皆様に多大なご協力を頂きました。ここに記して厚く御礼申し上げます。

  • 図1 左右を万遍なく見ている視線の軌跡
    図1 左右を万遍なく見ている視線の軌跡
  • 図2 左側に注意が向いている視線の軌跡
    図2 左側に注意が向いている視線の軌跡

(人間工学グループ  鈴木 大輔)

カビのようなにおいはどこから?

はじめに

 地下駅や地下道など、コンクリートで囲まれ、湿気が多い空間では、壁や天井にカビの発生が見られることがあるほか、独特のやや甘みのあるツーンとしたにおいが感じられることもあります。このような空間において、空気中のにおい物質を分析すると、2-エチル-1-ヘキサノール(2E1H)という物質が特徴的に検出される場合があります。近年、この物質がなぜこのような空間で発生するかについて明らかになってきました。本稿では、2E1Hの発生要因と対策について紹介します。

2E1Hの発生要因

 2E1Hは、厚生労働省が「体内への影響が懸念される」として室内濃度の指針値を定めた13物質には該当しない物質です。主に塩化ビニルなどの床材に含まれるフタル酸ジエチルヘキシル(DEHP)や、接着剤などに含まれる2-エチルヘキシルアクリレート(2-EHA)が分解されることによって生成すると言われています1)。その分解過程には、カビなどの微生物の代謝による分解(生物分解)と、コンクリートに含まれる強アルカリ性の水分による加水分解(アルカリ分解)の2通りがあります。それぞれ、対策の方法は異なりますが、どちらの分解過程も2E1Hの発生に適した温湿度環境が似ているため、区別がつきにくいという問題があります。生物分解では、カビは温度25℃から30℃、相対湿度70%以上の環境を好むため、高温多湿の夏期に活動が活発になり、2E1Hの発生量も多くなります。アルカリ分解では、DEHPや2-EHAが床材などから揮発してコンクリートに接触する必要がありますが、揮発量は温度が高くなると多くなります。さらに、加水分解には水が必要であり、コンクリートが水分を多く含むほど分解反応が進みやすくなります。どちらの分解も2E1Hの発生量は夏期に多く、冬期に少なくなります。また、DEHPや2-EHAは長期間に渡って徐々に放出される性質があり、毎年、カビが発生しやすい夏になるとにおいが発生するというサイクルが繰り返されるため、実際の分解過程に関わらず、「カビのようなにおい」という印象を与えているのかもしれません。

生物分解かアルカリ分解か

 2E1Hの発生が生物分解とアルカリ分解のどちらによるものかの判断は、2E1Hが「床から発生しているかどうか」によります。底面に開口部を設けたステンレス製の容器(図1)を床に置き、一定時間静置することによって床から放出された揮発性物質を容器内に滞留させます。これを吸着材で捕集し、分析します。もし、2E1Hが主に床から発生していた場合はアルカリ分解である可能性が高いと考え、そうでない場合は生物分解である可能性が高いと判断します。

  • 図1 床から放出される揮発性物質の捕集
    図1 床から放出される揮発性物質の捕集

2E1Hの発生対策

 2E1Hの発生要因がカビなどによる生物分解である場合、既に発生しているカビを除去し、抗菌処理等を行えば、においの発生を抑えることができると考えられます。一方、アルカリ分解の場合は、床材とコンクリートの間に遮水シートを施工するなど、揮発したDEHPや2-EHAをコンクリートに接触させないようにすること、また、コンクリートを乾燥させることが必要であると考えられます。このように、対策の効果を得るためには、分解過程に対応した方法を選択することが重要です。

おわりに

 当研究室では、鉄道におけるさまざまな空間のにおいに対し、今後も発生要因に基づく効果的な対策を実施するための研究を行っていきたいと考えています。

参考文献

1) 上島通浩ほか:2-エチル-1-ヘキサノールによる室内空気汚染, 日本公衆誌, Vol.52, No.12, pp.1021-1030, 2005

(生物工学グループ  潮木 知良)