乗客の暑い・寒いを予測する

はじめに

 鉄道車両の冷暖房能力や制御性能は年々向上していますが、車内が暑い・寒いといった乗客からの不満の声は依然として多く寄せられています。現状を改善し、より多くの乗客にとって快適な温熱環境を提供するためには、乗客がどのような状況で暑い・寒いと感じているかを明らかにすることが重要です。

暑い・寒いを予測する指標

 人の暑い・寒いを予測する代表的な指標としてPMV(予測平均温冷感申告)・PPD(予測不満足率)指標があります。PMV・PPD指標はそのわかりやすさから、現在でも様々な分野で利用されています(PMV・PPD指標については、人間科学ニュースNo.201「温熱指標とその適用限界」もご参照下さい)。

 PMV・PPD指標は温度一定の定常環境を対象としていますが、鉄道車両内は混雑率の変化や、ドア開放時の外気侵入等により温湿度が変動する非定常環境であり、両指標の適用範囲外です。また、四季のある日本では、温熱快適性の季節差も重要な要因ですが、PMV・PPD指標では温熱快適性の季節差を考慮することができません。

 そこで、私たちのグループでは、非定常温熱環境に適用可能で、かつ温熱快適性の季節差を反映できる、日本の鉄道車内版PMV・PPD指標「DyPMV・DyPPD」を新たに提案しました1)(図1)

  • 図1 DyPMV・DyPPD指標の計算モデルの全体像<sup>1)</sup>
    図1 DyPMV・DyPPD指標の計算モデルの全体像1)

DyPMV・DyPPD指標の計算方法

 DyPMV・DyPPD指標の計算は、人の生理状態予測と心理状態予測の二段階で構成されます。生理状態予測部は、周囲環境と人体の熱交換の仕組みや、体温調節機能が考慮された数値計算モデル(人体熱モデル)により、車内温熱環境下での乗客の皮膚温等の生理状態を予測します。この際、乗客の服装や姿勢(立位/座位)の影響も考慮できます。心理状態予測部は、各季節で実施した鉄道車両内での体感実験データに基づく統計モデルにより、乗客の予測平均温冷感申告(DyPMV)、および予測不満足率(DyPPD)を計算します。これまでの実験で、本手法による予測と被験者の体感には高い相関があることを確認しています。

 DyPMV・DyPPD指標は、乗客が暑い・寒いと感じる不快箇所・不快状況の特定や、新たな対策の効果検証等に活用できます。例えば、通勤列車では、同一車両内でも場所により温度の違いがありますが1)、当該指標を適用することで、車内位置による乗客の温熱快適性の違いを予測できます。また、「暑い不快が生じやすい」と予測された位置に対して、「ファンの設置もしくは送風強度の変更等により風速を上げる」といった対策案が出された際、対策実施前に、想定する風速を入力することで、その不満足率の低減効果をシミュレーションすることができます。

おわりに

 今後は、DyPMV・DyPPD指標の活用性を高めるために、鉄道車内の不均一温熱環境(例えば、顔面のみ横流ファンからの風を受けるような環境)への適用範囲拡大に向けた研究に取り組みます。

参考文献

1) 遠藤他:夏季の通勤列車内の温熱快適性予測手法、鉄道総研報告、Vol.29、No.7、pp.27-32、2015

(人間工学グループ 遠藤広晴)

音声の警報とかるた

はじめに

 映画「ちはやふる」が公開されたこともあってか、2016年度は競技かるたがちょっとしたブームだったそうです。競技かるたとは、百人一首の上の句を読んで、下の句を取るかるたです。「畳の上の格闘技」とも呼ばれ、読み人が上の句を口にするやいなや、競技者が取り札を豪快にはね飛ばすシーンがおなじみです。なぜこのようなことができるのでしょうか。それは、読まれた歌が100句のどれであるかが、冒頭の数文字で特定できるからです。たとえば、「せ」で始まる歌は「瀬を早み岩にせかるる瀧川のわれても末に逢はむとぞ思ふ」1句のみです。従って、「せ」と読まれた段階で札をとれます。このように、最初の文字だけで歌を特定できるものを「一字決まり」と呼び、7句あります。「二字決まり」が42句、「三字決まり」が37句、最長で「六字決まり」です。競技かるたでは、決まり字と下の句の対応を覚えるのが重要な練習となっていて、練習を積むと、取り札を見たときに、下の句そのものよりも決まり字が浮かぶようになるようです(図)。

  • 図 取り札をみて決まり字が浮かぶイメージ
    図 取り札をみて決まり字が浮かぶイメージ

音声を用いた警報

 近年、人の音声による案内や警報が多く用いられるようになっています。身近なところでは、住宅用火災警報器で音とともに「火事です、火事です」と音声で知らせる機種があります。鉄道においてもさまざまな機器や運転台などで音声が用いられるようになっています。音声による警報は、音声ではないものと違って、聴いただけで意味が分かるので音と意味の対応付けを覚えておかなくてよい、詳しい内容も伝えることができる、という利点があります。その一方で、最後まで聴かないと意味が伝わらない場合や、聞き違えや聞き漏らしで意味が変わってしまうという問題もあります。単純に音声による警報を増やしてゆくと、聞き違えが増える恐れもあります。

 早く正確に対応がとれる警報音声とするためには、どのようなことに配慮が必要でしょうか。多くの選択肢から提示されたものを素早く特定するという点で類似点のある競技かるたを参考に考えてみたいと思います。まず、早く対応するためにはなるべく冒頭で内容を特定できる方がよく、互いに同じ文字の並びを避けた文言とすることが重要であると考えられます。全部で100句のうち一字決まりが7句であるとか、「い」で始まる句が3句であるというように全体の構成を把握することも選択肢を絞る上で重要であり、警報音についても全部でいくつあるか示すことが重要であると考えられます。

 相違点にも着目してみましょう。競技かるたでは、前の下の句が読まれてから次の歌が読み上げられるまでの時間が決まっていて、集中して音を待ち構えます。警報の場合、聞く人は他のことに注意をむけているのが普通で、鳴動タイミングもわかりませんので、聞き漏らしに備えて冗長性を持たせる必要があります。競技かるたのすべての札は同じ重みを持ち、同じ確率で読まれますが、警報はそれぞれ重要度や対応までの時間的余裕が異なりますし、比較的よく鳴動するものや稀なものがあります。そこで、口調や先行音によって重要度や緊急度などを知らせる工夫や、めったに提示されないものに対してすばやく対応できるかという視点も必要になります。先ほど述べた全体の構成も、文字の並びだけでなく、重要度など内容についても示すことが大切です。

おわりに

 早く正確に対応できる警報音声とするためのヒントとして、かるたとの比較から、同じ文字の並びを避ける、全体の構成を示す、冗長性をもたせる、重要度などを知らせる、頻度に配慮するなど5つのポイントが得られました。安全性を高めるために警報音声を追加する場合には、こうした観点でチェックすることが有効そうです。例に挙げた住宅用火災警報器の「火事です、火事です」の音声は、冒頭で内容が分かる、2回繰り返して冗長性がある、めったに聞かなくてもすぐ意味が分かって反応できる、といった点で3つのポイントを満たしていると言えます。

(人間工学グループ 斎藤綾乃)

呼気から体調を読み取る

はじめに

 私たちは、意識するとしないとに関わらず、常に呼吸をしています。その主な機能は、空気中の酸素と体内で発生した二酸化炭素の交換ですが、それ以外にも、呼気には体内で発生した多種多様なガスが含まれており、その種類は二百~千種類ともいわれています。また、このようなガスの排出は皮膚でも行われ、様々な物質が排出されています。近年、このような呼気のガスに含まれる揮発性有機物質(VOC)を指標として、疾病の発見や診断などに役立てるための研究が進められています。本稿では、この分野のトピックの紹介と鉄道分野への応用の可能性について考えてみたいと思います。

呼気からわかること

 呼気あるいは口臭を医学的な診断に用いることは、古代ギリシャの時代のヒポクラテス(紀元前460年~370年)の業績としても記されており、遥か昔から着目されていました。その後、東洋医学などでも重要な診断技術として用いられ、日本においても明治時代までは当たり前の診断法だったようです。なぜならば、呼気に含まれる物質には、体の病的変化による代謝物があるからです。

 例えば、糖尿病になると、エネルギーとして体内の糖分をうまく使えず脂肪を分解して使うため、アセトンという物質が生じ、甘い/甘酸っぱいにおいが出てきます。また、肝臓や腎臓に異常が生じればアンモニアの臭いが、さらには、ある種のがんが生じるとノナナールなど特有のにおいが生じるとの報告もあります。このように因果関係がある物質を指標(バイオマーカー)として病気の診断に活用する動きが加速しています(表1)。

 一方で、これらの物質に着目し、病気ではない体の変化を捉える試みもなされています。例えば、イソプレンはエネルギー代謝のバイオマーカーとして研究が進められていますが、皮膚の脂肪代謝で生じるアセトンの濃度とともに測ることで、運動負荷による疲労を測定できる可能性が報告されています。

  • 表1 代表的な生体からのガスと体調の関連
    表1 代表的な生体からのガスと体調の関連

呼気を測る技術と鉄道への応用の可能性

 ナノスケールでの加工技術や通信技術の発展により、センサーの小型・集積化が実現しています。最近では、ppb(十億分率)オーダーで呼気中の複数の物質の測定・分析を行う機能が携帯電話程度の装置で実現されつつあります。

 これらの研究の多くは、病気により増加する呼気中の物質の検出を目標としています。すなわち、息を一回吹きかけるだけの簡単な検査で病気の可能性を探る、医師の診療の支援を目標としたものです。

 一方、別の視点で考えると、医療だけではなく、日々の健康サポートへの活用も考えられます。鉄道分野でも、鉄道の安全を支えている従事員の「健康」は欠かせない重要な要素であり、この技術の応用を検討する価値は高いと思われます。

 例えば、呼気のデータをもとに、「未病」といわれる状態、すなわち、健康ではないが病気でもない状態を把握できる可能性が考えられます。一人ひとりが、自身の健康な状態での呼気をベースとして、日々の測定データを積み重ねることで、健康状態を確認することができようになるでしょう。そして、もしデータに変化があった場合には、その変化を体調の変化と捉え、「未病」状態にいち早く対応することが可能になると考えます。

 このような取組みが、各個人の取組みとともに会社もそれを支援する仕組みとして実現すれば、急速に少子高齢化が進む日本において、鉄道分野の労働力の維持・確保に対して少なからず貢献するとともに、持続的な社会の形成にも寄与するでしょう。

おわりに

 我々のグループは、鉄道をとりまく生物的な課題を主な対象として取り組んできましたが、今後は本稿で紹介したような技術にも着目し、鉄道の安全性のさらなる向上に貢献していきたいと考えます。

(生物工学グループ 池畑政輝)

人が利用する環境の微生物

はじめに

 駅や車両などの設備をお客さまに安心かつ快適に利用していただくため、清掃などのメンテナンス方法や機能を持った素材の導入効果を評価することは重要です。汚れの種類は様々なものがありますが、その1つに微生物があり、衛生状態やにおいの発生などに関わっています。微生物は目に見えないので、お客さまの視点で見ると、不特定多数の人が利用している場所や設備を気にする場合もあると考えられます。一方で、従業員の視点で見ると、実態がわからない、新しい清掃方法や新しい素材などを検討したいがその効果がわからないといったことが考えられます。ここでは、鉄道環境で微生物がどのように存在しているのか、明らかになってきたことをご紹介します。

鉄道環境の微生物

 お客さまが利用する鉄道環境の微生物を調べた海外の研究1)を紹介します。この研究によると、列車内のつり革、手すり、座席にいる微生物の多くが人の皮膚由来の微生物で、一部、口の中や腸内にいる微生物であったと報告されています。例えば、顔に近い水平の手すりでは、皮膚由来の微生物以外に、口の中の微生物が検出されたそうです。

 また、この研究では、同じ座席でもビニール製とポリエステル製では微生物の構成(種類と割合)が異なることを明らかにしています。このことから、素材等の表面状態によって、微生物の構成が変わると考えられます。

 以上から、鉄道などの不特定多数の人が利用する環境の微生物は、人の利用の仕方(人の身体のどの部分が触れるか/近いか)と利用環境の素材など表面状態の2つの要因により決まってくるのではないかと考察されています(図1)。2つの要因のうち、人の利用の制御は難しいですが、素材等を検討することは可能です。鉄道環境の特徴をつかんだ上で、機能のある新しい素材等を導入したとき、清掃等のメンテナンス方法を変えたときに、微生物の構成はどのように変化するのかを明らかにすることにより、その効果を検討することができると考えられます。また、微生物の構成を科学的に明らかにすることで、お客さまにもより安心してご利用いただくことができるかもしれません。

  • 図1 人、環境、微生物の関係
    図1 人、環境、微生物の関係

微生物を調べる方法

 ここで、微生物を調べる方法について、少しご紹介します。人工的な温度(湿度)環境で、人工的に栄養を与えて微生物を育てる方法(培養法)は古くから用いられています。しかし、地球上の微生物の大半(例えば、海水中では99.9%)は、人工的に育てられない(培養できない)と言われています。

 では、培養できない微生物はどうやって調べればよいのでしょうか。培養せずに、遺伝子の配列の一部を読むことによって微生物の構成を調べる方法があります。先に紹介した研究はこの方法を用いています。遺伝子と聞くと、そこまで調べるの?と思われるかもしれませんが、今では遺伝子解析は一般的な技術となり、培養できない微生物も含めて、簡単にその構成などを調べることができるようになってきました。もちろん、それぞれの方法にメリット・デメリットがありますので、遺伝子に基づいた方法も万能ではなく、目的に応じて方法を選択する必要があります。

おわりに

 鉄道環境を含め、人が利用する環境の微生物の存在状況は、遺伝子解析技術の発展に伴って調べられはじめたばかりで、今後の研究が期待されています。微生物の遺伝子というと鉄道と遠いように思うかもしれませんが、鉄道を安全・安心に使っていただくため、また、快適な鉄道環境を提供していくための指標として使うことができると考えます。我々のグループでも、このような方法を使って、鉄道環境の向上に寄与していきたいと考えています。

参考文献

1) Hsu et al., mSystems, 1, e00018-16, 2016

(生物工学グループ 吉江幸子)